DIE KASSETTENKATALOGE DES STÄDTISCHEN MUSEUMS MÖNCHENGLADBACH

Bibliographic Details

Title
DIE KASSETTENKATALOGE DES STÄDTISCHEN MUSEUMS MÖNCHENGLADBACH
Editor
Susanne Rennert & Susanne Titz
Designer
Petra Hollenbach
Director
Susanne Titz
Images
Photo by Tobias Hohn, Stanton Taylor
Publisher
Walther Konig Verlag
Year
2020
Size
h285 x w225 x d40 mm
Weight
1800g
Pages
392 pages
Language
German / English
Binding
Hardcover / ハードカバー
ISBN
9783960989066

ドイツの美術館が
図録の代わりに発行した
「持ち帰れる美術館」の総目録。

1967年から1978年までの11年間に、「ボックス・カタログ(通称:Kassetten)」と呼ばれる箱の本が、メンヒェングラートバッハ市立美術館から発行された。キーマンは、発行人でありプロデューサーのヨハネス・クラダースという館長さん。

クラダースは、あたらしい美術館のスタイルを模索した先駆的なキュレーターだった。1968年には「anti-musuem(反美術館)」というエッセイで「物理的な壁を取り払い、精神的な家を構築すること」こそが来たるべき理想の美術館である、と早々宣言していた。権威的な建築物の中に置かれるから「アート」なのではなくて、人々とのコミュニケーションのなかにこそ、アートの真価を見出したかった。美術館はむしろ邪魔をしているのではないか、とさえ考えた。その後、長い時間をかけてクラダースは「anti-musuem(反美術館)」を実践する。その実践の場が、メンヒェングラートバッハ市立美術館からはじまる。

1967年、クラダースはドイツのメンヒェングラートバッハ市立美術館(現・アプタイベルク美術館)の館長に就任。そして、この小さな町の市立美術館で、「反美術館」の狼煙をあげる初めての展覧会を企画する。それがヨーゼフ・ボイスの美術館での初個展だった。退役軍人のボイスは当時46歳で、ちょうどゲルハルト・リヒターやアンゼルム・キーファーを輩出したデュッセルドルフ芸術アカデミーの彫刻科教授として教鞭をとっていた時期で、アーティストとしてはほとんどまだ無名だった。しかも、ボイスは入学試験を廃止して、定員のために入学できなかった142人全員を自分のクラスに受け入れると主張して学校からクビになる寸前。とにかく20世紀を代表する芸術家としてはまだ見なされていない、そんな時期だった。

紆余曲折あってボイスの展覧会は決まったものの、市立美術館には特別なカタログをつくる予算はなかった。できることといったら、一番安い紙に印刷するありきたりな小さなパンフレットくらい。そこで、その前の年にエディション・ルネ・ブロック(Edition Rene Block)から箱入り作品を発表していたボイスが考案したのが、展示カタログとマルチプル作品を混ぜ合わせたような、実験的でハイブリッドな出版のアイデアだった。マルチプルとは、1点しかないオリジナル作品に対する「量産されたアート作品」のことで、60年代以降にフルクサスがさまざまな方法で発表したことで一般化していった。こうして、ボイスとともに、メンヒェングラートバッハ市立美術館の伝説的な出版物「ボックス・カタログ(通称:Kassetten)」が誕生し、クラダースが館長だった1967年から1978年までの11年間で合計「35箱」の限定ボックスが続々刊行されていった。

ラインナップは錚々たる顔ぶれで、ヨーゼフ・ボイスをはじめとして、ベルント&ヒラ・ベッヒャー、マルセル・ブロータース、ハンネ・ダルボーフェン、ピエロ・マンゾーニ、ゲルハルト・リヒターなど、のちに20世紀を代表するアーティストとして評価される豪華メンバーと共に、箱の本は出版されていった。

それ自体が独立したアートプロジェクトでもあるこのボックス・カタログは、展覧会の図録カタログの要件は、ほとんど満たしていない。なかには展覧会への言及が全くないものもあるほど。それでも、美術館の外でも、家の中でも、どこでもアートを体験できることは、クラダースが実践する「anti-musuem(反美術館)」をもっとも象徴的に表現しているといる。


Text by 櫛田 理


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