美術海 / Bijutsukai

Bibliographic Details

Title
美術海 / Bijutsukai
Artist
詳細不明 / Anonymous
Publisher
山田芸艸堂 / Unsodo
Year
明治29年〜35年 / 1896 - 1902
Size
18
Pages
合本5冊(36〜59巻・全24冊)/ Set of 5 books
Language
日本語 / Japanese
Binding
和綴じ / Japanese Binding
Printing
木版多色摺り / Woodblock Printing with Multi-Color
Materials
和紙 / Japanese paper
Condition
Good (合本3と合本4のみ表紙と目次入 / 全冊奥付は巻末のみ / 合本1-2綴じ糸切れ / 合本1奥付・裏表紙イタミあり)

36~55号が4冊に、56~59号を1冊に。各巻多色木版刷20図・全480図を所収。Bijutsukai No. 36-55 in 4 volumes and 56-59 in 1 volume. Total 480 illustrations woodblock-printed illustrations in multiple colors.

時は、1900年前夜。
アールヌーボーでもデコでもない
日本デザインの胎動。

本日、ブックハンターの佐藤真砂さんから届いたのは、明治時代の工芸図案集『美術海』です。

美しい木版多色摺りの本書は、山田芸艸堂が発行した月刊雑誌を合本した5冊組。版元合本は大正5〜7年頃に発行されていますが、版元発行の合本には目次などのテキストは入っていないため、この5冊は購入者か関係者が、自ら私家版合本にしたものと推測されます。

時代は1900年前夜、一部で頭角をあらわしはじめた「意匠家」や「図案家」など、無名作家たちの「図案集」です。明治時代に、ものづくりの現場で実際にデザインに従事したのは無名の職人たちでした。鉄道敷設とともに商圏が拡大し、市民の趣味が多様化していく時代に、着物や陶磁器、漆器から、扇子や虫籠に至るまで、新しい時代にふさわしいデザインへと、創意工夫を凝らす必要に迫られていったのもこうした人たちでした。毎月彼らの手に届くことになった『美術海』は、意匠に秀でた図案家によるデザインのフリーソースとして、日本の工芸製品を彩っていくことになりました。

この『美術海』に登場する図案は、いずれも1900年前後のデザインとは思えないほど、いやそれゆえにか、和と洋が絶妙にまざっていて、古典柄にはない洗練された形と色合いに到達している逸品揃いです。

本書に魅せられてしまうのは、ひとえに「芸艸堂(うんそうどう)」にあると言っても過言ではありません。山田芸艸堂は、明治24年に美術出版社として創業し、2022年の現在も日本で唯一手摺木版本を刊行する現役の出版社です。現在に至るまで常に版画職人を育て、木版多色摺りの技術を守り、つないできました。近年では「北斎漫画」の復刻や、明治時代の『滑稽図案』を再版するなど、精力的な活動を続けています。

芸艸堂という社名を命名したのは、「最後の文人」と謳われた富岡鉄斎。明治から大正にかけて、芸艸堂の周辺には、菊花を大胆な構図で描いた『契花百菊』で知られる長谷川契華、明治を代表する図案家としていまや世界にその名を知られるようになった神坂雪佳、雪佳に学び『美術海』に続く月刊図案誌『新美術海』を託された古谷紅麟、夏目漱石の書物の装丁で知られ、近年はとくに「図案家」としての側面にも注目が集まる津田青楓、大正時代のモダニズムへと通じる図案に秀でた荻野一水など、綺羅星の如き才能が常に存在していました。中核を担うアーティストの不在によって認識しずらいところもありますが、実体としてはウイリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動のような工芸デザインの革新を図るデザイン運動とみることもできます。

「芸艸堂」は、京都の寺町二条にあります。京都市役所や京都御苑にもほど近い街の中心地で、茶道や華道、能や花街など、いずれも「着物」産業とは切っても切れない関係にありました。『美術海』の時代、京都は文化やファッションで最先端の流行都市でした。芸艸堂ともっともゆかりの深い図案家のひとり、神坂雪佳の作品が1世紀以上を経た2001年、「エルメス」の会報誌「ル・モンド・エルメス」38号の表紙と巻頭12ページを飾ったのも道理というものなのかも知れません。いまでは芸艸堂の刊行書のコレクターは日本ではなく、海外に多くいます。かつて独自の美意識を育んだ京都発の『美術海』は、世界のデザイン愛好家の心をくすぐっています。

じつは、この『美術海』を紹介するにあたって、資料を調査したものの、あまりにも関連資料が乏しく途方に暮れてしまいました。そこで、芸艸堂さんに電話で問い合わせてみたところ、この謎めいたこの出版物について、いろいろなことが解ってきました。芸艸堂の早光照子さんからお聞きした貴重なお話を紹介します。

まずは、雑誌の発行スタイルについて。工芸図案を芸艸堂が美しい版本に仕立て、全国の読者や同業者に流通させたことは一貫しているものの、1~35巻は画家及び図案家の大家に図案を依頼し発行人の山田直三郎が判断、36巻以後はこの図案化のところを「懸賞圖案」に切り替えた、ということなのです。この編集方針の変化について、詳細は分かりませんが、デザイナーという職業がまだ確立していなかった19世紀末に、毎月の「お題」に対して「懸賞図案」の入選者を発表する月刊雑誌に切り替わったのは、興味深い事実です。図案の選定や評価にあたっては、発行人の山田直三郎の他に、『美術海』は神坂雪佳、『新美術海』は雪佳の意向で古谷紅麟が実際の編集をしていただろうと言われています。

この「懸賞図案」という仕掛けが効いた時代背景として、当時は日本の工芸をどんどん海外に輸出しようとした国の先導がありました。ある意味の国家プロジェクトだったわけです。そこで、あたらしい図案をうみだす才能をあつめるために、苗代的な役割をはたしたひとつに、明治中期に京都で興った図案会「友禅図案会」がありました。京都各地からさまざまな工芸の未来を担う若き才能が結集していて、日夜お互いに切磋琢磨していた、のだそうです。そんなわけなので、『美術海』に登場してくる入選図案には、同時代のアールヌーボーやアールデコに影響を受けたものから、日本の古典図案や古画を大胆に翻案したものまで、明治中頃の若い熱気があふれているのです。

最後に、現在はそういうわけにはいきませんが、当時の『美術海』はデザインのフリーソースでした。基本は「使うための本」だったので、古書市場に流通しているものは落丁本が多いわけですが、その当時は、気に入った図案は自由に使うことが許されていました。いつの時代もクリエイターやデザイナーは、イメージの源泉を探しているものです。インターネットが登場する以前は、雑誌や書籍がそのインスピレーション源として大きな力をもっていましたが、最近では、どうでしょうか。その磁場は雲散霧消し、手軽なものはSNSのなかに移行したようにも見えます。そうして見れば、この『美術海』がやったことは、雑誌時代の先駆けであって、明治時代のInstagramだったとも言えるのではないか。見たことがない、新しいデザインを誰もが心待ちにしていたのです。

いま図案を利用したい方は、どうか芸艸堂さんへご一報ください。→芸艸堂HP



Text by 乙部恵磨



【参考リンク】

芸艸堂

スミソニアン博物館データベース
Bijutsukai - Smithsonian Libraries

Warakuweb
京都の出版社「芸艸堂(うんそうどう)」の凄すぎる版木蔵を訪ねてみた!