Thoughts on breasts / 乳房雑考

Bibliographic Details

Title
Thoughts on breasts / 乳房雑考
Author
Ramon Gomes de la Serna / ラモン・ゴメス・ド・ラ・セルナ
Translator
Daigaku Horiguchi / 堀口大學
Director
Kikyo Sasaki / 佐々木桔梗
Publisher
PRESS BIBLIOMANE / プレス・ビブリオマーヌ
Year
1969
Size
h224 × w178 × d2mm
Weight
50g
Pages
24
Language
Japanese / 日本語
Binding
Bookbinder=Asa Kuroiwa / 黒岩晁
Printing
Tokusaburou Kawasaki / 川崎得三郎
Materials
Natural-color pure gampi paper produced in Omi for the text as well as the cover / 表紙並に本文用紙は近江産自然色純雁皮
Edition
26/375

乳房に魅せられた男たち
向こうからくるあの女には、
乳房があるだろうか

まるごと乳房について書かれた一冊。スペイン生まれの作家ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナ(1888-1963)による『乳房』(1917)を仏文学者/詩人の堀口大學(1892-1981)が翻訳したもの。総雁皮紙本。1969 年、限定本出版社のプレス・ビブリオマーヌから、限定375部で刊行された。

プレス・ビブリオマーヌは芝三田の浄土真宗本願寺派教誓寺の住職だった佐々木桔梗(1922-2007)によって設立されたプライベートプレス。初版本ではなく、すでに世に出た作品を限定特装本として仕立て直すことを美学とし、1956 年から1981年までの四半世紀のうちに57点の本を世に出した。おもな刊行物は、三島由紀夫の『サーカス』(1966年、挿絵/武井武雄)、澁澤龍彦の『狂王』(1966年、コラージュ挿絵/野中ユリ)、吉行淳之介の『驟雨』(1968年)、安部公房の『赤い繭』(1969年)、北園克衛の『色彩都市』(1981年)など。堀口大學の作品では『エロチック』(1965年、挿絵/古沢岩美)、『馬来乙女の歌ヘる』(1967年、イバンゴルの作品の翻訳、紫水晶入り本)、『宿なしジャンの歌』(1967年、イバンゴルの作品の翻訳)、『乳房抄』(1970年、ラモンの作品の翻訳、ルビー入りA版、並装本B版)、『花と動物』(1970年)が上梓された。また鉄道・カメラにも情熱を注いだ佐々木桔梗は『カメラと機関車』(1969-1972,7冊)『コートダジュール特急』(1975年)、『探偵小説と鉄道』(1975年)などみずから筆をとった作品も刊行している。

佐々木桔梗は書物へ傾倒するきっかけに、江川書房版『ルウベンスの偽画』(1933年、堀辰雄)、野田書房版『窄き門』(1937年、ジッド)の2冊をあげている。この2冊は、過度の装飾をさけ、素材に徹底的にこだわり、本としての読みやすさを追求した「純粋造本」の代表として高い評価を受けている。 プレス・ビブリオマーヌにもその影響はみられ、限られたストロークから仕上げられた本書にもピリッとした神経がいきとどき、読み手に緊張感をあたえるようなつくりになっている。

『乳房』の作者、ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナは不遇の作家だった。1888年、ラモンはスペインの上流階級の家にうまれた。オビエド大学の法学部を卒業したのち、パリで仕事を探したが見つからなかった。そのかわりに父親は、息子のために雑誌「プロメテウス」(1908-1912)を創刊。「プロメテウス」ではラモンの前衛劇作品のほか、グールモン、ワイルド、ダヌンツィオ、メーテルランク、ローダンバックといった世紀末のパリで活躍した文士たちの作品の翻訳、マリネッティ書き下ろしの「スペイン人に向けた未来主義宣言」が掲載された。

1917年、29歳にして長篇小説『黒衣 と白い肌の未亡人』、上品なエロティシズムとユーモアをたたえた小咄集『乳房』、 ラモン独自の短詩型の散文作品集『グレゲリーア』、華やいだ祝祭的な世界をえがいた『サーカス』を発表。フランスの詩人/翻訳家のヴァレリー・ラルボー(1881-1957)は当時評判になっていた「グレゲリアス」の原書をとりよせたが、「一読後、感動のあまり、まる一週間、ほとんど仕事が手につかなかった」というほど衝撃をうけたという。1920年代にはさっそくフランス語に翻訳された。それから、オルテガ・イ・ガセー主幹の文芸誌「西欧評論」や新聞に数おおく執筆し、マドリードの中心にあるカフェ・ポンボで内外の作家や詩人、画家、音楽家を集めて文芸サロンを主宰、時代の寵児となったラモン。

しかし、スペイン内乱を機に事態がかわる。ラモンは、スペイン内乱が勃発すると、徴兵をさけるかたちで、アルゼンチン、ブエノス・アイレスに亡命する。 また国会議員だった父親が共和派側のホセ・カナレーハス首相を支える側近の地位まで上り詰めたが、日頃苦労している姿を目にしたせいか、 息子ラモンは政治嫌いでかよっていた。政治は作家を堕落させるとも考えていた。そして、政治思想について、ノンシャランな態度をとっているうちに体制派と見なされるようになる。 内乱の最中から、共和派支持の空気が国内のみならず全世界に広がったため、ラモンは、祖国を離れたあと、共和派支持が大勢を占める同業者や評論家、それに知識人から、一転して容赦ない批判と黙殺をうけることになる。

ラモンはブエノス・アイレスに移り住んだあと、1963年に逝去するまで、ユダヤ系アルゼンチン人のルイサ・ソフォヴィッチ / Luisa Sofovich といっしょに暮らした。その間、一度だけ祖国の土を踏んでいる。しかし、このときも体制派(フランコ支持派)の知識人の歓迎会に参加したため、猛烈な批判を浴びることとなってしまう。詩人でラモンとも交流があったラファエル・アルベルティ(1902-1999)は「なぜフランコ支持派なのか、君はドジなラモン」とコラージュ作品の一節にラモンへの好悪のまざった心情をあらわした。

ラモンはブエノスアイレスに移ってからもグレゴリーアをはじめとし、エッセイ、小説、戯曲、伝記といったさまざま分野を横断しながら前衛的な作品を発表している。それらはのちにホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)らが参加した「ウルトライスモ」やスペイン詩人らが結成した「27年世代」におおきな影響をあたえたことが知られている。メキシコ詩人で文明批評家のオクタビオパス(1914-1998)はラモンについて、「作品はまったく斬新だったし、それは現在でも変わっていない。このままゴメス・デ・ラ・セルナの作品を忘れてもいいものだろうか。ばかげた黙殺をつづけているスペイン人とイスパノアメリカ人を許していいものだろうか。」と再評価をもとめている。
 

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