豆本「一千一秒物語」の誕生

一千一秒物語(文・稲垣足穂  本・赤井都)
のラストエディションは
こうして生まれた。

FRAGILE BOOKSの依頼であればと、赤井都さんが幻の豆本『一千一秒物語』の<ラストエディション>を仕立ててくれました。もうこれ以上はつくれない最後のエディション、限定9部です。マグネットで装着する巻子本のアイデア、革モザイク、金箔のデザインなどの意匠はそのまま、2017年に完売した10巻揃の完全版から2巻ずつをランダムに組み合わせたショートエディションになっています。1巻の全長は約90センチ。スクロールして読む体験に今回の<ラストエディション>では新しくLEDライトの装置が加わりました。「お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた」と綴ったタルホへのオマージュとも取れる、赤井さんの工夫になっています。本の詳細は商品ページへ。



それでは、作者の赤井都さんが回想する<ラストエディション>の制作秘話をお届けします。


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誕生前夜


あるとき、短い物語をウェブサイトで発表していたら、読者から「あなたは稲垣足穂の『一千一秒物語』を読むといい」というメッセージが届いた。それが、はじまりだった。

ちょうど、自分が書いた話を自分で本にすることをはじめた頃で、最初に作った豆本がアメリカのミニチュアブックコンペティションでグランプリを受賞した。日本人として初めての賞をいただいたので、もっと豆本の道に入っていこうと思い、製本を学ぶために池袋のルリユール工房に通うことにした。天小口染めの講習で、好きな文庫本を持ち込んで練習するこになった。それで、新潮文庫の『一千一秒物語』(昭和44年発行、平成12年38刷)を手にとった。いまでも手元にあるその文庫本は、天がパステル4色のむら染めになっている。講座を創設した栃折久美子さんはすでに引退して数年が経っていた。

その後、書肆ユリイカ版の『一千一秒物語』(1958年刊行)を手に入れて、おなじ文章なのに、ここまで違った印象になるかと驚いた。活版の味わいがある書肆ユリイカ版からは、物語と言葉の不思議さがもっと伝わってくるようだった。それでも、ページを開いたときに短編の始まりと終わりが同時に視界に入ることは不満だった。ページを繰らなければ次の短編の冒頭の言葉が見えないように設計したほうがいい、そんなふうに思った。


豆本の設計へ


『一千一秒物語』は、1923年に金星堂から初版が刊行されて以降、これまで20回以上の改版を重ねている。68話の短編からなるショートストーリーで、文庫本ではおよそ50ページほどになる。冊子にすると厚みが出そうだった。それに、一話ごとの長さがまちまちなので、短編ごとに改ページしながらきれいに収めることはとても難しい問題だった。「暗闇で光る紙に印刷して、青い革表紙のミニチュアブックにしたらどうだろう。いや、それでは当たり前すぎてつまらないか」「タルホっぽく、リニアモーターカーのように磁力で本が浮いたらどうだろう。いや、制御が難しいな」などと、アイデアが浮かんでは消える日々を過ごした。

初版本や復刻本を探して図書館へ通った。羽良多平吉やタムラシゲルが手がけた過去の造本や挿絵を見てはノートを取りながら、やはり是が非でも『一千一秒物語』を豆本にしようと覚悟した。自分の中で時が満ちたようだった。


3インチ以内に!


2017年5月、突如として具体的なイメージ図を描きはじめた。下部が3段の引き出しで、最上部に巻き物をセットする構想。蓋は、革モザイクに金箔押し。さらには、マグネットのアイデアと引き出しの具体的な寸法を書き込んでいた。

ところで、ミニチュアブックのコンペティションに応募する作品は、辺という辺がすべて3インチ(約76ミリ)以内でなければならない。函も作品に含めようとすると、化粧紙まで貼った仕上がり寸法が、天地奥行76ミリを超えないように、ギリギリを計算する。通常の製本では、まず本を作ってその実寸に合わせて函を作っていくが、わたしが作る豆本は、函から本のサイズを計算し、余白を取って版面を逆算する。そして導き出された本の天地寸法はたったの50ミリ。全68話を入れて引き出しに収まるように、巻いた時の直径は最大12ミリ、必然的に紙は薄くなければならない。しかし紙が弱ければ破れてしまう。だから最強の雁皮紙を使うほかなかった。


最強の雁皮紙


雁皮紙はそのままでは薄すぎてプリンタを通らない。なので、活版印刷か。しかしいまの時代に活字を組んだら、数百万円の本になってしまう。樹脂版でも数十万円は下らない。結局、活版ではなく、自宅のレーザープリンターを使うことにした。薄い雁皮紙でも、いったんコピー用紙で裏打ちをすればプリンターを通る。そこで、雁皮紙とコピー用紙を薄い澱粉糊で貼りつけ、印刷のあとでもう一度水をつけて糊をはがすことにした。手間がかかる工程だが、ほかに方法がなかった。

イラストには樹脂版を使った。縮小した線がどこまで再現できるかどうか不安があったが、真映社に整版を頼めばなんとかしてくれるだろうと肝を据えた。印刷は、コストを抑えるために、自分で刷るしかない。であればこそ、自由に色を使って、エッチングインクの混色でグラデーション印刷することができた。その技法は得意だった。凸版だけでは、表現に幅が出ないから、ドライポイントも数点入れて、もやもやしたインクの部分も表現とした。


二枚の雁皮を貼り合わせる


雁皮紙は一枚では弱くて自立できない。雁皮紙の強度を増すためには、文字を印刷した紙と、絵を印刷した紙を、貼り合わせる必要があった。この本は、文と絵、二枚の雁皮紙を薄い澱粉糊で貼り合わせている。このひとつの工程にとんでもない手間と技術がいる。貼り合わせたらプレスして乾かさないといけない。プレスの場所と、プレスに必要なクッション紙や板紙などの資材を準備して、畳一面にインクの乾ききっていない紙をそっと並べ、2017年は夏のあいだずっと印刷してはプレスしていた記憶しかない。

夏が過ぎて秋には、今はちょうど建替している神保町の三省堂の一階で、展示販売の催事が控えていて、そこに出すのを目標に頑張っていたのだと思う。数部はその時点で完成していた。著作権の許可をいただいた足穂の娘さんからは、当初、豆本という言葉から少し怪しまれたご様子だったが、私がこれまでに作った作品の中から『不思議の国のアリス』をお送りしたら、「存分におやり下さい」と言っていただいた。残部の製本と製函の完成は、翌年一月の、曳舟の書斎Le Petit Parisienに間に合ったと記憶している。

ラストエディションの制作

一年後の2018年夏、アメリカのミニチュアブック大会のブックフェアに『一千一秒物語』を持っていった。そこで注目を浴び、三段の引き出しがある完全版『一千一秒物語』はめでたく完売した。

うわーっと作った後、しばらくたってから振り返ると、ようやく冷静に作品を見ることができる。この『一千一秒物語』はわれながら唯一無二の作品だと思う。フラジャイルすぎて人に見せるのも気をつかうけれど。雁皮紙の強度は二枚重ねたことで増したが、それでも不注意の一瞬でしわになる可能性がある。ネオジムマグネットは小さくても宙を飛ぶ。この本を全く必要としていない人が99人通り過ぎ、1人が興味を示せばいい。それでこそ、これまでどこにもなかった本だ。どのみち私はそんなにたくさん作れない。

私はいつも、販売する数よりも余分に印刷をする。特にこの本では、絵と文字を貼り合わせる工程でシワになったり、ドライポイントでインクの拭き取りを失敗したりすることを見越して、多めに刷った。多めに刷った印刷紙はぜんぶ残してある。第一巻はたくさん失敗したので、あまり残っていないが、ほかの巻は失敗も少なく、良い刷りが残っていた。この時の印刷は、もうできない。インクを混色して微妙な色が出ているのは、試行錯誤した後だから、何をどれだけ混ぜたかは自分でも再現できないし、グラデーションの具合はその時だけの偶然の産物。印刷紙の素晴らしさを私は感じたから、そのまま大事に保管していた。

そんな時に、フラジャイルブックスと出会った。「取り扱い注意の本、本らしくない本、壊れやすい紙もの、エフェメラ、函、フラジャイルな本」を取り扱う、これまでになかった本を扱うギャラリー。

完全版はもうないけれど、印刷の残りがある。抄本で良いのでは、とひらめいた。マグネットで巻物を装着するアイデア、引き出しや革モザイクと金線のデザインは、既刊に習って残しつつ、二巻ずつをランダムに組み合わせたセットにしよう。新しいアイデアとして、LEDライトを付属させ、函には孔を開けることにした。そして印刷紙を保管用の包みから取り出して、製本と製函に取り組んだ。巻の一つずつは長さ約90センチで、見応えはしっかりとある。

この小さな風変りな本を楽しむ人の元に届いてほしい。10部だけ作れた。自分の保管分1部を取ると、残りは9部。

どうぞ部屋を暗くして、タルホの宇宙をおたのしみください。


赤井都

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赤井都 / Miyako Akai

自分で書いた物語をそれにふさわしい本の形にしたいという思いから、独学で初めて作ったハードカバー豆本で、2006年ミニチュアブックソサエティ(本拠地アメリカ)の国際的な豆本コンクールで、日本人初のグランプリを受賞。2007年に連続受賞。その後、10年間かけて、通常サイズの本で西洋の伝統的手製本、デコール、書籍の修理と保存をルリユール工房などで学ぶ。2016年、2021年、2022年も受賞。2014, 2017年、Hong Kong Book Art Festival(香港)からの招待で豆本ワークショップ、講演講師。2018年、The Sharjah International Book Fair(アラブ首長国連邦)からの招待で子供向け豆本ワークショップ講師。2019年、豆本に貢献した人として、ミニチュアブックソサエティからのNorman Forgue Award受賞。著書に『豆本づくりのいろは』(河出書房新社)、『そのまま豆本』(河出書房新社)、『楽しい豆本の作りかた』(学研パブリッシング)。2006年より個展、グループ展、ワークショップ講師、豆本がちゃぽん主催など。オリジナルの物語を、その世界観を現す装丁で手作りする、小さなアーティストブックの作り手として、また講師として活動中。

赤井都さんオフィシャルサイト:言壺