本を撮る写真家 潮田登久子

FRAGILE BOOKSでは、ご購入いただいた商品を特別な包装紙で包んでお届けしています。この薄くて繊細な薄葉紙には、写真家の潮田登久子さんが撮影した4種類の写真が印刷されています。いずれも潮田さんが20年以上つづけているライフワーク「BIBLIOTHECA」シリーズの第三巻『本の景色』(幻戯書房)に収録されている本の景色です。

時間の経過で変化してゆく本のフラジリティを見事に生け捕ってきた潮田さん、公私ともによきパートナーとして潮田さんによる無言の写真から本の周辺を読み解いていく島尾伸三さん。お二人にじっくりお話を聞きました。

                                          

オブジェとしての本の撮影をはじめたきっかけは何ですか?

潮田さん —『戦中と戦後の間』(丸山真男著、みすず書房)という本との出会いからです。シリーズの1冊目「みすず書房旧社屋」を撮影したのは、48年間も難解で美しい本をつくり出してきたみすず書房旧社屋の、解体工事が始まる前の編集者たちが働いている時、そして建物から本が運び出されて、建物が壊され更地になるまで、撮影する事になりました。

島尾さん — みすず書房の旧社屋は、戦後すぐの1948年に建てられた、面白い木造建築でね。

潮田さん ——— その建物が半年後に解体されるというタイミングで、本と、そこで働いている人たちの写真を撮り始めました。建物の中にあった本がすべて運び出された後の、ガランとした部屋で、たった1冊だけ捨てられていたというか、置き去りにされたような本が目に飛び込んできました。それが『戦中と戦後の間』という本でした。中身を見たら活字だらけの本で、難しそうで目がチカチカしちゃうような本です。それでも、佇まいの美しい本だなあ、と思ったんです。丸背に白いコート紙のカバーで素っ気ないほどにシンプルなデザインで。その「本の姿」に魅せられて、その本を持ち帰ったんです。

本好きには、本は内容かもしれないけれど、それだけではないのではないか、と思いはじめていました。内容はわからなくても、まるで建築物のようなその姿を撮りたいと思いました。

その後、みすず書房創業者の小尾俊人が「まず、本は外側が大事」と書いている本に出会って、人文系の難しい本を作っている人でも、まず手に取って、触れてもらうことが大事だから、という考えがあるということを知って、もしかして撮る価値があるかもしれない、と思ったのです。

それから、古本屋へ通ったり、大学の図書館へ行ったり、いろんな本をじっくり撮影させてもらえるようなところがないか、友人や知り合いに尋ねはじめました。古書だけでなく、新刊本も垣根を作らず「本」だったらなんでもという気持ちになり撮り進めました。

「BIBLIOTHECA」シリーズ第1冊目の『みすず書房旧社屋』(みすず書房)

国会図書館など、ふつう部外者が入れない書庫でも撮影されています。

潮田さん — 最初は早稲田大学、その次に国立国会図書館、それから明治学院大学、立教大学、古本屋さん、個人の蔵書家の家や、貴重本コレクターまで、どこも人づてです。友人の家族や、知り合いに声を掛けました。子どもの小学校のお友達のお父さんが、当時国会図書館や早稲田大学の図書館などに勤務していたから実現したことで、ラッキーでした。いまでは考えられない、我がままな撮影を許してくださっていたんだと思います。

島尾さん — この人が入ったのはどこも、門外不出の本とか、国宝級の貴重書を保管してある、門外漢の人は入れない場所ですからね。

潮田さん — 早稲田大学図書館で、私は「本」をオブジェとして撮影したいと申し出ました。先方はきっと理解出来ないままだったと思いますが、どういうわけか入れてくれたんです。部屋自体が大きな金庫のような特別資料室でした。

たくさんの本が並んでいましたが、中には何世紀も時を経て在る本たちもあるでしょう。人間の寿命よりもずっと長い間生きてきた貴重な本たちに囲まれて、すごく緊張していました。撮影に通うようになると、司書のみなさんも忙しいので手伝っていただくわけにもいかず、私はたった1人でその部屋の中で撮影をしていたんですけど、疲れましたね。触れただけで壊れそうな本ばかりで、緊張の連続でした。

はじめて国立国会図書館に行った日は、ちょうど国会が休会中で、建物の一番上にある国会議員のための勉強部屋とか、普段は見られない場所まで見学させてもらいました。国会図書館の天井は収蔵域をより多く確保するのと本の重量に絶える為だと思うんですが、少し低くて、膨大な量の本が詰まっていて、「どこ撮ってもいい」と言われてもね、当惑してしまいました。

最後に、地下二階の修復室も案内されたのですが、修復作業をしているところを見せてもらったとき、ここで撮ってみたいと思いました。

古くて貴重な本から、上野に出来る国際子供図書館に収蔵予定の終戦直後のマンガ『サザエさん』や『ミーコちゃん』から児童書まで、様々な本が修復されていました。国宝級の室町時代の経文も、私の子供時代が蘇ってくるような明らかに子供たちに遊ばれ、読まれて出来た手垢の染み込んでいるマンガも、同じ様に扱われている、こんな景色は見たことがありませんでした。その作業風景を見ながら、保存状態の良い豪華本や貴重なものばかりではなくて、既に壊れてしまっている本なんかも見たくなってきて。本の持つ運命を覗きたくなりました。

私を駆り立てて来たのは散漫な好奇心だけでした。虫食いだらけの経文を修復する工程を撮るために、職人さんのレクチャーを受けながら、結局、国会図書館には数週間通いました。

このブロッコリーのような本は何ですか?

潮田さん — これは偶然テレビで目に留まったんです。子供に辞書の引き方を教えている、当時京都の立命館小学校の深谷圭助先生が紹介されていた番組でした。小学校1年生ごろから辞書を使いはじめて、1年間でこういう風になるんですよ。これはぜひ実物を見てみたいと思って、先生に手紙を書き、電話をして出かけていきました。

子どもたちは、学校の授業でも給食の時間も、とにかくずっと四六時中自分の辞書を持ち歩いて、わからない言葉があると辞書を引くんです。給食に出た「大根」や「にんじん」、友達がけんかしていれば「けんか」も、とにかくひとつひとつの言葉を調べるんです、調べた文字毎に付箋を貼っていく。だから1年間でブロッコリーのようにふくれあがって、まるで脳みそのよう。付箋が多いほど、調べた数が多い証拠ですから、子どもたちにとっては、「これだけたくさんの言葉を調べたんだ」と実感できる、自分だけの辞書になるんですね。

たくさんの付箋でブロッコリーのようにふくらんだ国語辞典。

こっちの本は「包帯」を巻いています。

潮田さん — この本は早稲田大学図書館の特別資料室で撮影しました。整理ナンバーも付いていない、古くて脆くて、綴じている背の部分が弱り切っていて、バラバラになってしまうので、白い薄紙が包帯のように巻かれている痛々しい姿に、本が背負ってきた時間を感じずにはいられなかったですね。撮影したものを司書さんに見せたら、「修復が間に合ってない証拠みたいで、恥ずかしい」と言われしまいました。私はそれを聞いて、秘密の舞台裏で宝物を見つけたみたいで、ちょっとうれしかったですけど。

島尾さん — 包帯の巻かれている本は背も表紙も何も写っていないので、何の本かはわかりませんが、その端に『CODE NAPOLEON / ナポレオン法典』や法律に関する書名の本が置かれているので、きっと法律関係の書棚なのだということはわかりますね。

「包帯」を巻いた本が修復の順番を待っている。


ひび割れた背中から、何かが見えています。

潮田さん — それは明治学院大学の図書館で撮った『和英語林集成』です。本の背が破れて広告が覗いているのが面白いという先生もいらっしゃいましたね。明治という時代の背景がわかる面白い本だって。もう修復されてしまいましたけど。

明治学院大学の撮影期間は長かったですね、3〜4年通いました。地下2階の書蔵庫は、本の匂いに包まれて、気分がいいんですよ。一般の人も先生も入って来ないし、たまに司書の方が出入りするくらいで、本の森の中をひとりで彷徨う、森林浴のような心地よさです。時間を忘れて没頭しました。

島尾さん — それはいいんですけど、本当に外側を見て「いいな」と思って撮るだけなので、簡単なメモを書くことがたまにあっても、たった1人で撮っていて、時間がないこともあって、写っているのがいったい何の本なのか、ほとんど分からない。

そうなると、彼女が撮ってきた写真を見て、写真からできる限りの情報を拾い集めて、この本はいったい何の本なのかというのを私は調べるんです、ウィキペディアも表示できない古いパソコンでね。背表紙の書名や、表紙の周辺から見て取れる文字や数字、下張りに使われている紙、隣に並んでいる本との関係などを想像しながらの作業です。

経年でひび割れた背中から、下張りにしていた明治時代の新聞広告が見える。

島尾さんは、本の探偵みたいですね。

島尾さん — このひび割れた本は、明治学院(現:明治学院高等学校・明治学院大学)の創立者で、ヘボン式ローマ字を編み出したヘボン先生の辞書です。著者である彼自身のために改造してあって、書き込み用の紙が綴じ込んであるので、たぶん先生のノートのようなものだったのではないでしょうか。

背表紙を覆っていた革が劣化して破れてしまい、下張りにつかわれた明治時代に人気のあった文芸雑誌『文藝倶楽部』(博文館 発行期間:1895-1993 / 明治28-昭和8年)の広告が見えています。当時は紙が貴重だったので、表紙の下張りは手に入りやすい身の回りの紙を使っていたんです。この本の場合は、それが新聞紙だったということです。時代背景がこの下張りの紙からわかる。いまは修復されて、この新聞広告は見えなくなってしまいました。

ちなみに、日本人は昔から紙を再利用して使っていたんです。ヨーロッパで浮世絵が流行ったのは、陶器の輸出時に包み紙として浮世絵の試し刷りや、ヤレ、失敗作が使われていたから。包み紙が話題になって、ヨーロッパ中に浮世絵ブームが起きました。江戸時代の日本ではすでに、いらなくなった紙を決まった場所に捨てて、それを溶かして再生紙を作っていたものです。

寺子屋の教科書の表紙などは、再生紙で作られているので、まっさらではなくて、いろいろ混ざっているのが見えるんです。海苔をつくるのと同じ製法だったので、浅草でも再生紙が作られていて浅草紙とも言われていたみたい。

『聖務日課』には多くのアザーカットが残されています。

潮田さん — この本は、出版社に勤めている知人から「うちに面白いすごい本があるから見に来たら?」と声をかけられて、その人の仕事場へ見に行ったんです。大事そうにクリーム色で厚手のカーテン地に包まれていて、広げて現れたのがこの本。

すごい存在感と本そのもののパワーに圧倒されました。大きくて重くて、片手ではとても持てないひと抱えもある重厚な本。見れば見るほど、本の辿ってきた数奇な運命というのを強烈に感じました。この本は、いくら撮ってもその度に表情がいろいろ違うから、時々出掛けて行って眺めるだけでも興味はつきませんでした。

島尾さん — 表紙は牛の革、表紙の骨組みは木で、銅製の装飾金具と留め金も付いています。背は麻縄と麻布で綴じてあって、本文ページは羊皮紙でした。でも、ここまでたどり着く迄に中身はほとんど失しなわれて、数ページしか残っていません。もともとは、スペインの修道会で使われていたらしいけど、誰かが勝手に持ってきちゃった、いわくありげの本でした。

最初に何ページあったのか、本の厚みがどのくらいあったのかは、わかりません。中身の羊皮紙は、借金のかたにされたりしながら、1枚何万円という値段で切り売りされてしまったみたいです。

潮田さん — 実は、先日同じ本はどうしているか、久し振りに見せてもらいました。本は痩せてしまっていて、エネルギッシュな感じがなくなっていました。まるで違う本みたいでした。

島尾さん — モノも生きています、本も生きていますから。この『聖務日課』は、動物の革と木と麻で出来ている、呼吸しているんですよ。時間が経つと様子が変わるのは自然なことです。

ギリギリの状態でつなぎとめられている『聖務日課』のノド。

出版にあたって、一冊の構成は、どのようにまとめたのですか?

島尾さん — はい。潮田さんが気まぐれに撮った写真が、いっぱい箱に入っていて、それが何箱も投げっ放しになっているのを、私が整理して、見て、まず何をやりたいのか話しを聞きました。

始めに好きな写真だけを選んでもらって、選んだ写真を分類してまとめたんです。活字も、原稿も壊れた本も撮っていたので、1冊の本にまとめるにはストーリーとして、本の生まれるところから死んでいくまでの流れを考えました。活字が生まれてから、本になり、最後は本の死体ですよね、シロアリに食い荒らされるまで、印刷物の哀れな末路とも言えます。

半年くらいかけて、まとめるのは大変だったんですよ。だけど、出来たものをこの人に見せたら、「いや、これじゃない」って言われて、どんでん返しがあって、やり直しました。全部バラして、もう一回最初から、そうこうしている間にこの人は新たに撮影に行って、また写真が増えて。(笑)登久子さんは、本当にバラバラなんです。その調子に合わせるために、この人の頭の中の構造を想像してみることにしました。まとめようなんて思ってないんです、バラバラのまま。それで、いっそのこと、彼女の頭の調子に合わせた本にしようと思ったんです。

そうやって出来たのがシリーズ3冊目の『本の景色』です。読み物としての体裁はないけれど、何度開いても、どこから開いても読める、辞書のようでもあるのでA-Zの流れにしました。

BIBLIOTHECAシリーズは、3冊のトリロジーで完結ですか?

潮田さん — いいえ、じつは、まだ撮っているんです。コロナの影響やいろいろなことが重なって、随分時間はかかってしまっていますが、まだ撮り終えていません。撮影の予定もあります。

中身を読み込む、研究する対象としての本でなく、本の外側を20年以上撮っても、でもまだ飽きない、島尾がまとめてくれた「写真ノート」を読むと興味がつきない。本の奥深さに気づきました。

                                           

本の外側を見る潮田さんと、潮田さんの写真から本を読み解く島尾さんの、絶妙なパートナーシップには恐れ入りました。この先も、潮田さんの新作が見られると思うと楽しみです。フラジャイルブックスでは、今年の秋頃に潮田登久子さん個展(フラジャイル博覧会)を予定しています。どうぞご期待ください。

Interview by 乙部恵磨


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Tokuko Ushioda(潮田登久子)
1940年、東京都生まれ。桑沢デザイン研究所で、石元泰博、大辻清司に師事し、1963年に卒業。写真家の道に進む。1966年から1978年まで桑沢デザイン研究所及び東京造形大学で写真の講師を務める。1975年頃よりフリーランス。主な受賞歴は、『本の景色/BIBLIOTHECA』シリーズ(2018年)で土門拳賞、日本写真協会賞作家賞、東川賞国内作家賞、桑沢特別賞。最新著書は『マイハズバンド』torch press(2022年)。
Shinzo Shimao(島尾伸三)
1948年生まれ。奄美大島で育つ。1974年東京造形大学部写 真専攻科卒業。 1978年潮田登久子と結婚。ともに、中国。香港の庶民生活のリポートを始めて今日にいたる。 著書に『季節風』、『生活』(ともに1995年)『まほちゃん』(2004年)『中華幻紀 WANDERING IN CHINA』(2008年)などがある。
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